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学校の勉強は役に立たない

社会・歴史
Rudy AndersonによるPixabayからの画像
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子供が純粋な思いで尋ねることがある。「どうして勉強しなければいけないの?」「どうして学校行かないといけないの?」それは学校教育に「勉強はつまらない」「学校は楽しくない」と感じているのだろう。また、本能的に学校教育は無駄だし、ただの苦役だと感じているのだろう。
私は、学校教育はムダだし、基本的に行かなくてもいいと思っている。
振り返れば、私も子供の頃はそうだった。生きていく中の苦痛・・・。
今回は学校教育について書いてみたい。

生きる上で学校の勉強なんで不必要

勉強で習ったことを人生で使う?

英語ができる人は少ない。微分積分や習った化学式なんてほとんど使うことがない人がほとんど、つまり、英語学習に使った時間や、使いもしない数学に奮闘した時間、労力は無駄だった人がほとんどということ。
高度な計算も、元素周期表も、古文も、習ったことはほとんど使わない、無駄だったということ。

勉強はおもしろいはずなのに教え方がつまらない

本来は勉強はおもしろいはずなのに、テストで高得点をとることを目的とするためにつまらない。
また、勉強する意義を見出せない。

勉強は本来面白いはずです。人間の知りたいという欲求を満たしてくれるからです。そんな面白いはずの勉強ををつまらなくするやり方は間違ってますよね。

以前、横須賀で米軍の子息が行く小学校と日本人の小学校が交流する様子をテレビで見たことがある。お互い言語が違うからまったく話せない。しかし、遊んだりすることが楽しくてもっと言葉が理解できればいいなと思うようになる。それで、次回会う時にはもっと理解しあいたいと、お互いに相手の言語を積極的に学んでいた。これは自身の中に目的を見出したから勉強しだしたのだろう。このように、勉強は自発的にするようにならなきゃ身につかないだろうし、何よりも身になるというものではないか。
ですから、面白くない、目的が見いだせない。それが問題じゃないでしょうか。

勉強、難しすぎないか?

また、教えてる内容が難しすぎると思わないか?難しすぎて、覚えられなかったり、嫌気がさしたりしてやらなくなったら勉強の意味がないではないか、どうだろうか。
また、小学校は6歳で入学するが、4月生まれの6年(約2190日)生きた子供と3月生まれのまだ5年(1825日)の約360日の差はあまりに大きい。この時期の1年は6:5の差になる。実際、習得率に差が出ているデータもある。確かイギリスでは(就学時期は違ったはず)落ちこぼれて不良になる数字で表していた。そんな有利不利がある状況を一律に扱って評価してしまう状況も、絶対に放置してはいけないだろう。

なぜ勉強しなければいけないの?

子供は遊べばいいんです。外で走り回ればいいんです。

自然に触れ、人に触れ、人間が育ってから勉強すればいいんです。

学校でいい成績を取ることだけに幸せはありません。

それに対して答えるのは「いい大学に入っていい会社に就職する」「大学くらいでなければ恥ずかしい」など。勉強がよりよい生活をする為の目的ではなく、会社に入る為の手段になる。つまり、いい会社、いい学校に行きたい人以外にはほとんど役に立たない、ということ。こんなことは膨大なムダ時間と言わざるをえない。
だから、学校の勉強なんて所詮この程度だし、役に立つのはいい会社に入る「試験の為」と言うことくらいじゃないですか?

義務教育では「読み書きそろばん」ができればOKとすべき

読み書きそろばん

江戸時代の庶民に「読み書きそろばん」を初等教育としていたらしい。
現代の義務教育もこれでいいと思っている。

〇 読み・・・・読解力
〇 書き・・・・表現力・伝達力
〇 そろばん・・計算力

現代もこれだけで何不自由なく生きていけます。また、専門的なことを学ぶときにも「読み書きそろばん」の基礎があれば問題なく進んでいけます。逆に言えば、読み書きそろばんはキッチリ習得させる。

個性を伸ばせ

どうせ、使わないような勉強がほとんどだから、個人にとってやりたいことをやらせればよいと思う。例えば色々なクラスがあって自分で選んで好きに勉強する。同じクラスでばかり勉強するのでもいい。「好きこそモノの上手なれ」という言葉もある。それが子供にとって、ひいては社会に役立つ人間にもなると思うのだが・・。
「子は遊んで育つ」という言い方もする。遊びの中で他人との付き合いを学んでいけばいいし、色んな力加減(物事に対する最適な解、要領得るような能力)を覚えるものでもある。そんな、学校であれば全体も活き活きするようになると思うのだが・・・。

最低限、基礎としての「読み書きそろばん」。

あとは自分が好きなことに情熱を注げばいいと思います。その道で世界と勝負できるようなスペシャリスト!それでいいじゃないですか。

実際に学校の勉強が役に立つのは一握り

これまで述べてきたように、社会の実践で使うのは「読み書きそろばん」以外、専門分野でない限りほとんど何もないし、その余計な時間をもっと好きなことに使わせるべきだというのが私の意見。勉強が役に立つと言えるかも・・なのは大学の試験や会社の入社試験くらい。
それでも、私が思うことは、結構な学歴があるのに、この程度?と思える人も多すぎるということ。つまり、勉強したはいいが、入試・入社の目的を達成するとすっかり忘れているような・・・、いかがでしょうか。

義務教育の弊害について

義務教育は権利であって義務ではない

誰でも当たり前のように学校行く。どうして学校に行かなければならないのか?どうして強制されなければいけないのだろう?実は行きたくなかったら行かなくてもいいんです。義務教育とは言っても学校に行く権利はあっても義務は「子供には」ありません。義務教育の意味は子供に教育を受けさせる義務が保護者である「親にある」ということで、子供本人にあるわけではありません。

義務教育は国の為に行われる

どうして国は義務として国民に教育をうけさせるのか?
「国の役に立つ国民を作ること」それ以外にありえない・・・。
そう、学校教育を喝破した方がいました。私も、そう思います。国民の為に教育をするのではなく、国の為に国民を教育する。それが義務教育の本質。つまり、国を動かす人たちの都合のいいようになされるのが義務教育です。決して国民を第一に考えられてなどいない・・お人よしではいけません、そう思いませんか?

教育という美名の下に人間の洗脳、支配者に都合のいい大衆扇動が

行われる可能性を知らなければいけません。

今の国家権力が信頼に足るものであればよいでしょうが・・・

詰め込み型教育

日本の教育は詰め込み型教育だとよく言われます。簡単に言えば、知識を蓄え、如何に正確に答えられるか。それが、覚えることを優先した「知識型」なので「思考型」に変換できないか、という議論もあるようです。
知識型・・つまり、教えられたことを正確に覚えるか、それが多ければ優秀。
多くの知識を持つこと、記憶力が良いこと自体は賞賛されることですが、反対にその「知識型」教育の生み出す人間は 支配者に従順で管理しやすい人間になることだと思います。言葉を変えるなら洗脳されやすい、人間ということです。
つまり、上(権威)からの情報は正確にそのまま覚えるほど「優秀」だと褒められるからです。逆に疑っては非とされるからです。そうした経験はその人のなかで当たり前の常識(思い込み)となります。
以上より、わたしは今の義務教育ならいらない、学校に行かなくていいと思うわけです。ただし、読み書きそろばんはやりなさい。あとは、自分の人生、思い切って生きたらいいと思うのです。

義務教育なんて役に立たないばかりか人間形成に害をおよぼす。

そう、思ってます・・今のままなら。

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